スケジュールkeyboard_arrow_down
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長崎市内へお迎え
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原爆落下中心地
B29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂しました。現在、その地には落下中心地標柱として昭和43年(1968)に建立された黒御影石の碑が立てられております。
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平和公園
原爆落下中心地の北側に造られた、世界平和を願う長崎のピーススポット。長崎県出身の彫刻家・故北村西望が手掛けた平和記念像が置かれています。平和記念像は天に伸びる右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は世界平和を表しており、閉じた瞼は犠牲者の冥福を祈っています。
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如己堂
永井隆博士の病室兼書斎です。原爆で無一文となった浦上の人々が博士のために建てたこの建物を博士は"己の如く隣人を愛せよ"という意味から"如己堂(にょこどう)"と名付けました。
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浦上天主堂
キリシタン弾圧に耐え、信仰の自由を得た信者たちが30年間の歳月をかけて造り上げた教会。その美しさが「東洋ー」とも言われていましたが、原爆によって全壊。その後、当時の赤レンガ造りにて復元されました。大聖堂の中には24枚の美しいステンドグラスが設置されています。
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原爆資料館
被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、被爆から現在までの長崎の復興の様子、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までがストーリーを持たせわかりやすく展示されています。
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一本足鳥居
山王神社の参道には、一本柱鳥居と呼ばれ親しまれている鳥居があります。もともとは4つあった鳥居のうちこの鳥居だけが片方の柱を残し今も同じ場所に立っているのです。
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出島商館跡
ポルトガル人居住のためにつくられた埋め立て地で、後に平戸のオランダ商館が移さたためれ「阿蘭陀屋敷(おらんだやしき)」と呼ばれていました。
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オランダ坂
長崎の人々は東洋人以外を「オランダさん」と呼んでいたため、「オランダさんが通る坂」という意味でこのような名が付いたと考えられています。
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孔子廟
明治26年(1893)中国清朝政府と華僑によって建造されました。孔子像、72賢人石像などはすべて中国から取り寄せられたものです。
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大浦天主堂
幕末の開国にともない、在留外国人のために建設された国内現存最古の教会。聖堂内を飾るステンドグラスには、約100年前のものもあります。
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グラバー園
旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅を核に、市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元したものです。偉人たちも魅せられた絶景が広がる、とびきりのビュースポットでもあります。
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崇福寺
竜宮門を思わせる三門が印象的な唐寺で、中国人名匠の手による仏像や仏具を安置しています。海の神をまつる媽祖堂を持っており、唐船主たちが航海安全を祈願していました。
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眼鏡橋
日本初のアーチ式石橋として有名な江戸時代に造られた橋。川面に映った影が双円を描き、「メガネ」に見えることから、この名前がついたと言われ、
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長崎市内へお送り
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